- 韓国・ソウルの梨泰院で起きた雑踏事故で、死亡した冨川芽生さんの父親は、富川歩さん(59)で根室市議会の2期目議員であることが分かりました。
冨川歩さんは、娘の富川芽生さんが亡くなった翌日からメディア取材に多く応じ、その様子が大変落ち着いていたため「父親が冷静過ぎる」と話題となっています。
冨川芽生の父親のインタビュー「冷静過ぎてちょっと理解できない」
冨川芽生さんの父親は10月30日、Mr.サンデーのインタビューに答えています。冨川芽生さんの父親は涙をぬぐう事もなく、非常に冷静に受け答えしていたのです。
その様子を見た人々がSNSで「理解が追いつかない」と話題となっています。
Mr.サンデーつけてたら梨泰院被害者の父親にインタビューしてて理解が追いつかないんだけどどういうこと?お父さんが可愛い子でしたよとか言ってるけど軽い怪我とかではなく亡くなったってこと?それですぐインタビューに押し掛けたと?は????
— ねね (@renismomo) October 30, 2022
冨川芽生さんの父親は複数のメディアの取材に応じ、冨川芽生さんが亡くなった翌日の10月30日の放送では全て、取り乱す様子もなく冷静です。
冨川芽生さんの父親のインタビューを見て、SNSでは次のようなコメントが上がっていました。
父親が冷静にテレビでインタヴューに答えているのだが、ちょっと、理解できない。

突然の事に、実感がわいていないのかもしれませんね。

翌日31日の韓国へ出発する日のインタビューでは涙を見せていたぞ。
また、次のようなコメントもありました。
後者は理知的な人にしか出来ませんが、文化の違いです。

つまり冨川芽生さんの父親は、「感情に左右されず判断できる人」ということですね。

冨川芽生さんの父親の気持ちを考えると、辛いな。もっと泣いてもいいのにな。。。
富川芽生さんの父親へ誹謗中傷「世間知らずの道楽モンスターを育てた」

富川芽生さんの父親へ誹謗中傷「世間知らずの道楽モンスターを育てた」
冨川芽生さんの父親のインタビュー映像を見た人の中には、冨川芽生さんの父親や芽生さんに対して、誹謗中傷を書き込む人も出てきています。
行かないで後悔するよりは1000倍意味がある
韓国に憧れってw
マスコミに騙された典型的な田舎もんだな

そのほかにも、あまりにも酷いコメントがありすぎて、悲しくなってしまいました。

心が荒んでる人が書くのか、、、けしからん!
冨川芽生の父親は根室市議員2期目
冨川芽生の父親は、冨川歩(とみかわ あゆむ)さん59歳で、根室市議員を2017年から務めている現職の市議会議員です。

道理で!だから理知的な人だったのですね!
富川歩さんは根室市議員選挙で、2017年9月の1期目は新人として651票を獲得し8位当選。2期目の2021年8月は496票を獲得し14位当選を果たしています。

冨川芽生の父親は根室市議員2期目
冨川芽生の父親の本業は自営業「障子やチェストを製作」

冨川芽生の父親の本業は自営業「障子を製作」
冨川芽生さんの父親である歩さんの本業は自営業で、冨川木工製作という製作所を営んでいます。
富川芽生さんの父、歩さんのfacebookには、自身が製作したとみられる障子や棚の写真がアップされていました。

障子には金魚が描かれていて素敵ですね!日本っぽくていいです。

冨川芽生の父親の本業は自営業「カラフルなチェストを製作」
冨川芽生の父親の営む冨川木工製作は根室市光洋町にあります。
冨川木工製作〒087-0004 北海道根室市光洋町4丁目9

ここで富川芽生さんとお父さんは、一緒に障子や棚を作った思い出の場所かもしれないですね。
冨川めい父親、韓国でも礼儀正しく
冨川めいさんの父親は韓国に入国し、事故当時の状況を、めいさんの友人たちから聞いたようです。
その際、日本のメディアの取材にも応じ、その対応が素晴らしいと賞賛されています。
冨川芽生の父親の涙「娘の夢は僕の夢」
韓国に入国してからも、富川芽衣さんの父親は北海道文化放送のインタビューに答えています。韓国へ入国する日は、黒いマスクに水色の明るいジャンパーに明るいデニム姿だった父親の富川歩さん。しかし、この日の韓国でのインタビューは、黒いマスクは変わりませんが、暗めのグレーのパーカーにインナーもグレーを合わせた比較的落ち着いた服装で臨んでいます。

冨川芽生の父親「娘の夢は僕の夢」
富川歩さん「娘を亡くしましたからね。できることなら…自分が代わってあげたい。娘の夢は僕の夢でしたから」
富川歩さん「娘と一緒に僕もフランス人の友だちと出かけるって言っていた。きょうその友だちもはぐれてしまった、途中で。最後まで手を握っていれば良かったと。他の友だちは助かりましたけどね。芽生ともう一人、タイ人が亡くなった。二度とこんな事件か事故かまだわからないですけど、無いようにお願いしたい。」
「最後まで手を握っていれば良かった」と話す際には声を詰まらせた父親の歩さん。
富川歩さんはソウルで、梨泰院雑踏事故の「遺失物センター」を訪れ、娘の芽生さんの遺品を探しました。

、梨泰院雑踏事故の「遺失物センター」を訪れる富川歩さん
父親の富川歩さんが、娘の芽生さんの書いたメモを見つけると、思わず声を詰まらせたと同時に涙が出たようで、袖で目を押さえています。
涙をぬぐったあとは、父親の富川歩さんは顔をあげて「ありがとうございます。」と気丈に振舞っていました。

父親の富川歩さんが目を押さえて涙をぬぐうシーン。梨泰院遺失物センターにて
娘の芽生さんの手がかりを探して、芽生さんの友人を訪ね歩いた父親の冨川歩さん。芽生さんの友人からは、芽生さんがチマチョゴリを着て笑顔で写る写真を提供してもらっています。

冨川芽生さんが韓国の伝統衣装チマチョゴリを着て笑顔で写る写真

冨川芽生さんが韓国の伝統衣装チマチョゴリを着て笑顔で写る写真
韓国ソウル市内の献花台にも出向き、署名をするお父さん。芽生さんの母親も一緒に韓国入りしたとされていますが、その姿は映し出されている映像はありませんでした。
冨川芽生さんと父親が日本に帰国
2022年11月4日(金)14時10分ごろ、富川芽生さんの父親が、娘の芽生さんの遺体と共に大韓航空にて成田空港に到着しました。
富川芽生さんの父親は成田空港から北海道に帰るため、乗り継ぎをしなければなりませんが、釧路への飛行機が少ない為か、明日の飛行機で北海道へ帰る予定という事です。

芽生さんの死は韓国美化の報道をくり返す日本のメディアにも責任があると思うな。。
冨川芽生さんと父親が根室市内へ到着「通夜は11月6日」

冨川芽生さんと父親が根室市内へ到着「通夜は11月6日」
冨川芽生さんと父親が乗った全日空の飛行機が11月5日(土)14時ごろ、中漂津空港へ到着しました。
冨川芽生さんの遺体は、16時半ごろ、根室市内の「ねむろ市民斎場」へと運ばれました。
ねむろ市民斎場〒087-0022 北海道根室市昭和町2丁目109
冨川芽生さんとの最後のお別れである通夜は、11月6日(日)に行われるという事です。
冨川芽生さんの通夜|喪主の父「芽生の分まで頑張って」

冨川芽生さんの父親が喪主の通夜。祭壇が豪華
11月6日(日)夜、富川芽衣さんの実家のある根室市で、芽生さんの通夜が営まれ、親族や友人らが突然の別れを惜しみました。

冨川芽生さんの事を語り涙する父親の歩さん
喪主を務める富川芽衣さんの父親が、通夜の中で挨拶し、梨泰院雑踏事件の発生は報道で知ったことや、すぐに芽生さんへ連絡した際の様子、韓国に家族で向かってからの経緯を語っています。
富川芽衣さんの父親「10月30日の朝、テレビを見るとすごい現場の映像が映っていました。『危ないな』と妻と話し、『気を付けてね』と電話しようとしました。しかし、電話口に出たのは韓国の警察でした。現場に芽生のスマホが落ちていたことが分かりました。『ただ落としてしまっただけ』『病院に行ってて連絡ができないんだよ』と思おうとしましたが、待てど暮らせど連絡が来なくて、心臓はどきどきどきどき…そのまま、『指紋が一致しました』と連絡がありました。『夢であってほしい』と思いました。こんなことが人生にあるのか。あんなに夢見て、やっと行った韓国だったのに」
富川芽衣さんの父親「札幌で息子と合流し、その夜に芽生と会えました。泣き崩れる妻を見て、どうしようもないと思いました。そこで初めて現実だと思いました。大使館のミカミさん、芽生と同い年で、一緒になって泣いてくれました。オガワさん、ミカミさんは芽生の持ち物を発見するまで尽力してくれました。バラバラのノートには、『毎日毎日幸せです』って書いてありました。いろんなところで、みんなに愛されていました。『めいちゃんのことを忘れない』って、芽生に習った片言の日本語で語りかけてくる外国人もいました。6人で梨泰院に行って、芽生とタイ人の子が死んで、助かった残りの4人からは『助けられなくてごめんなさい』と言われました。『芽生の分まで頑張ってね』と伝えました。事故のあと、たくさんの友達がいたことが分かりました。向こうで知り合った記者の方に頼んで何人かと連絡を取り、きょう大沼美咲さんがここに来てくれました。本当にありがとう。短い人生でした。本当にこれからだったんです。夢に向かう途中でした。ノートにはたくさんの夢を書いていました。『家族を旅行に連れて行きたい』『結婚して、子どもを産みたい』。芽生は本当に幸せだったんだと思います。今まで仲良くしてくれた、保育園から高校、そしてソウルの友達。ソウルの学校の前には芽生の献花台を用意してくれました。いずれ落ち着いたら、芽生が好きだった韓国にゆっくり行ってみたいと思います」

事故当時のお父さんの冷静過ぎると言われるインタビューは、やはり「現実とは思えない」という気持ちで臨んでいたためだったのですね。
しかし、通夜の様子が報じられると、SNSには「祭壇が豪華すぎて気になる」という意見が相次ぎました。
一方で祭壇が豪華な理由は、結婚式の為に両親が使ってあげるはずだったからなのでは?とう意見もありました。
冨川芽生さんの葬儀
冨川芽生さんの葬儀は、11月7日(月)午後に執り行われました。ねむろ市民斎場で営まれた葬儀には、親族や友人らおよそ90人が参列し、冥福を祈りました。
葬儀では、芽生さんの父親である冨川歩さんが喪主を務め、あいさつをしました。
芽生さんの父・冨川歩さん「こんなに悲しいことがあるんだと。こんないい子が僕の娘だったのかなと。芽生にありがとう。26年間だけど、生まれてきてくれてありがとう」
葬儀後の取材に対しても丁寧に対応した芽生さんの父・冨川歩さん。
芽生さんの父・冨川歩さん「本当に可愛い子でした。そして、芽生のノートには『自分で働いたお金で家族旅行に連れて行きたい』という家族に向けてのメッセージも書いてありました」

「家族旅行に連れて行きたい」…ですか。そんなことノートに書いてに残しているなんて本当に胸が締め付けられる思いです。

結婚もして子どもも欲しいとも書いていたようだし。普通の幸せをつかめたかもしれないと思うと悲しいね。
そんな悲しみに暮れる芽生さんの父親をみても、SNSでのコメントは辛辣なものが多く上がっていました。
次回選挙は同情票がたくさん入りますよ。
遺影が加工し過ぎ!
他の記事のコメントで酷い事を書いてる方が多くてビックリです。
人が亡くなってるのに。
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