2022年1月、妻の吉田容子さん(40)に毒性のある「メタノール」を摂取させて殺害した疑いが強まったとして8ヶ月後の2022年9月16日、製薬大手「第一三共」研究員の吉田佳右(よしだ けいすけ)容疑者(40)が逮捕されました。
吉田佳右は国内外の大学と大学院をを3つ卒業しています。嫁の容子さんも大学院卒のエリートで小学生の一人息子がいる吉田けいすけ。なにがあったのでしょうか。
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吉田佳右の大学は北海道大学大学院「3つの大学卒業したエリート」

北海道大学の大学院時代の吉田佳右容疑者のイケメン顔写真
吉田佳右は北海道大学の大学院を卒業しています。その他2つの大学、千葉大大学院、アメリカの大学も卒業している薬学のエリートです。
吉田 佳右が学んだ大学について1つづつ見ていきましょう。
北海道大学大学院薬学部研究院
吉田佳右が卒業した北海道大学は国立大学なので総合大学で薬学部が設置されています。
北海道大学薬学部研究院のサイトには、「科学者・研究者として、あるいは、薬剤師としての活動を通して、人類共通の医療・健康の向上に貢献出来る人材を養成することを目的としています。」と記載されています。
薬学部には薬科学科(4年制)と薬学科(6年制)の2つがありますが大学院があるのは現状、薬科学科(4年制)だけのようですので、吉田 佳右がは薬科学科(4年制)で学び大学院へと進学したものとみられます。
北海道大学薬学部の偏差値は72と非常に高いです。
4年制の薬科学科は、ライフサイエンスおよび創薬科学分野において、国際的に活躍できる優れた研究者・技術者の養成を目的としています。このために、生命のしくみや機能を明らかにする生物化学、新しい薬を創りだすために自然界から新規の生理活性物質を見出して構造解析する天然物化学、複雑な構造を持つ生理活性物質を合成する有機合成化学や医薬候補品のドラッグデザインをする医薬化学、そして分子の性質および分子間相互作用を理解する物理化学を中心に、薬学に必須な基礎科学を優先して学修します。(北海道大学薬学部サイトより引用)
吉田佳右は北海道大大学院を修了後、2007年4月に第一三共に入社し、研究員として新薬の開発を担当していたといいます。
2010年には同期入社で今回殺害されてしまった妻の容子さんと結婚して、息子が誕生しています。
千葉大大学院
吉田 佳右は第一三共に入社した後、仕事をしながら国立の千葉大大学院に通い2015年には博士号を取得しています。学位は千葉大学大学院医学薬学府。専攻と研究室は、創薬生命科学専攻薬品合成化学研究室です。
吉田佳右が千葉大大学院に何年間通っていたのかはわかっていませんが、通常大学院は2年制ですので、2013年から2015年の間に大学に通い、研究していたと推測できます。大学での研究の傍ら、仕事と結婚生活、幼い息子の子育てに大変忙しい日々を送っていたことが想像できます。
千葉大学薬学部の偏差値は72と北海道大学薬学部と同じく高い偏差値です。
千葉大学には薬学部が設置されていて、大学等のアカデミアや企業での博士研究者の育成のために、どちらの学科にも大学院博士課程があります。
吉田佳右はこの千葉大学大学院の薬学部で2015年に博士号を取得しています。博士論文では、「創薬に必要な化学物質を合成する新たな手法について」の研究結果をまとめていたと言います。
千葉大学大学院のサイトを確認してみると「触媒的Diels-Alder反応による光学活性ヒドロカルバゾール骨格の立体選択的構築法の開発とその応用」という学位論文も書いています。79ページにわたる論文は一般には到底解することのできない、元素記号と元素図、アルファベットが並んでいます。

吉田佳右の博士論文|千葉大学大学院医学薬学府

吉田佳右の博士論文内容|千葉大学大学院医学薬学府

ハチの巣みたいで到底理解できん!

論文の最後には、勤め先の第一三共の上司や家族に対して感謝を述べています。

吉田佳右の千葉大学で書いた論文の謝辞
アメリカの大学に留学
千葉大学を卒業したおよそ3年後の2018年~2020年までの2年間、吉田佳右はアメリカの大学に留学しています。現地の大学では博士研究員(ポスドク)として研究に励んでいたようです。この際、家族と一緒に渡米したのか、どこの大学だったか具体的な大学名などはまだ明らかになっていません。
アメリカの大学については、これまでの日本国内での大学もレベルの高い大学を卒業していますので、ハイレベルな研究をしていたものとみられます。
吉田 佳右は帰国後知人らに「国内、海外と2回も留学させてもらったので、組織に貢献したい」と言って、仕事に意欲を見せていたといいます。
勤め先である製薬会社の第一三共では、「痛みをやわらげる研究」に当たっていたようです。

ここまで大学で研究没頭していると家族との時間はほとんど無いように感じます。
吉田佳右の経歴
吉田けいすけの経歴をまとめます。
1998年4月15歳三国丘高校入学(偏差値70)
2001年4月18歳北海道大学薬学部入学
2007年3月25歳 北海道大学薬学部大学院卒業
2007年4月25歳 製薬会社の第一三共に研究員として入社
2010年28歳 入社同期の容子さんと結婚
2011年~2015年?長男誕生
2013年4月31歳 千葉大学薬学部大学院入学(第一三共在籍中)
2015年3月33歳 千葉大学薬学部大学院卒業し博士号を取得(第一三共在籍中)
2018年9月?36歳 アメリカの大学に入学(第一三共在籍中)
2020年7月?38歳 アメリカの大学を卒業(第一三共在籍中)
2022年1月40歳 妻が謎の体調不良で急死
2022年9月40歳 妻を殺人した疑いで逮捕される

吉田容疑者の小学生時代の写真
吉田けいすけ容疑者の小中学校時代を知る人物によると佳右容疑者は、優秀で何一つ非の打ちどころがない。ちょっしゅううちにきてゴハン食べたりしていた」「そのかわり”勉強教えたるわ”と頭いいから」と話しています。
大阪府堺市のニュータウンで、姉と妹の三きょうだいで育った吉田。父は会社勤め、母は公務員で、絵に描いたような優等生だった。
「テストはいつも一番。とても賢く、当時から将来『薬剤師になりたい』と言っていたのを覚えています。悪目立ちするようなこともなかった」(中学の同級生)
偏差値70超の名門・三国丘高校に入学。受験勉強に励み、01年に北海道大学薬学部に進学した。異郷でも屈託なく振舞う吉田は周囲に慕われ、薬学部の同窓会誌の編集委員にも名を連ねている。(週刊文春より引用)
吉田けいすけ容疑者は殺害容疑に対して、否定しています。
吉田 佳右のプロフィール
吉田佳右のプロフィールを見ていきます。
年齢:40歳(1982年、昭和57年生まれ)
出身:大阪府堺市
住所:東京都大田区西馬込1丁目
職業:会社員(第一三共株式会社)薬品研究開発部門に所属
結婚:既婚(妻・容子さん)
子ども:小学生の長男1人
容疑:殺人罪
妻の容子さん死亡事件が起こるまでの勤務態度には問題はなかったそうです。容子さんの死後は出勤していなかったといいます。

吉田佳右容疑者が救急車を呼んだようです。

薬物で瀕死の妻に寄り添う素振りをして、被害者を演じていたのか。

吉田佳右容疑者の自宅マンション

殺害された妻の吉田容子さんの経歴
2007年4月製薬会社の第一三共に研究員として入社
2010年入社同期の吉田佳右容疑者と結婚
2010年第一三共を退社
2011年~2015年?長男出産
今回亡くなった吉田容子さんも国立大である京都大学大学院を修了後の2007年4月に研究員として第一三共に入社しています。研究員として採用されていますので、京都大学大学院の薬学研究科だったものとみられます。
京都大学薬学部の偏差値は76です。吉田 佳右容疑者の卒業した北海道大学薬学部の偏差値72よりさらに高い偏差値ということから、吉田容子さんも優秀な研究者だったと予想できます。
吉田佳右容疑者と同期で、2010年に結婚後、退職して専業主婦になっていましたが、近年は広告会社に勤めていたようです。小学生の長男と3人暮らしで教育に熱心だったといいます。
その他、手がかりを探して吉田容子さんのフェイスブックなどを調査しましたが、同姓同名が多く、該当するアカウントを探せていません。
6年半前にもメタノールを混入で殺害された事件
今から約6年半前の2016年3月、兵庫県西宮市のマンションに住む主婦で無職の妻・大川房子容疑者(当時48)が、有毒のメタノールを混入させた酒を夫の廣明さん(当時59)に飲ませ、死亡させた事件がありました。
夫の廣明さんは事件当日、外出先で体調異変を訴え、神戸市の病院に顔面蒼白で駆けこんだそうです。医師に吐き気とめまいを訴えたあと意識を失い、総合病院に転送され、血液検査からメタノール中毒の疑いが出て警察に通報。その後、夫の廣明さんが多臓器不全で亡くなっています。
夫の廣明さんが勤めるIT企業ではメタノールを使用しないことから妻を事情聴取したところ、素直に“夫が飲む酒に燃料用アルコール(メタノール)を混ぜた”と自供。ただちに殺人未遂で逮捕されています。
大川夫婦は離婚の話は出ていたそうですが金銭トラブルや異性問題などの動機がなく、妻の大川房子容疑者は“夫の日常的な態度に腹が立った”“こんなことで死ぬとは思わなかった”などと殺意を否定しています。夫が死んだことを知っても妻は大きく泣き崩れることもなく、反省も口にせず、淡々と取り調べに応じていたようです。
周囲には仲の良い家族に見えたといいます。
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