ジャズシンガーの齋藤悌子さん(88歳)には子供が2名いらっしゃるそうです。
そのうちの1人の娘さんが石垣島へ嫁いだことをきっかけに齋藤悌子さんも移住しています。
その娘さん夫婦は喫茶店を経営しているということ。そのカフェレストランはどこにあるのか?
魅力的な歌声を聞かせてくれる齋藤悌子(さいとう ていこ)さんの家族構成も合わせて調査します。
齋藤悌子は子供(娘)と同時期に石垣島在住
齋藤悌子さんには、子供が2名いらっしゃいます。ご主人の実家のある千葉に1965年に移住してすぐ2名の子を出産しています。
齋藤悌子さんの子供たちの年齢は明らかになっていませんが、1960年代後半に誕生したとなると2人とも60代くらいになるはずです。
齋藤悌子さんのお子さんの1人は娘さんということがわかっています。もう1人のお子さんについては詳細は公表されていません。
齋藤悌子さんの娘さんのお名前は敦子さん。
齋藤悌子さんの娘である敦子さんは、沖縄県の石垣島で知り合った青年と結婚して移住しています。
その娘さんの移住を機に、1989年、齋藤悌子さんは夫の齋藤勝さんと石垣島へ移住しています。
齋藤悌子の子供(娘)の石垣島喫茶店はどこ?
齋藤悌子さんの娘、敦子さん夫婦が経営するカフェレストランの名前は「エンジェルの海」。
そこで齋藤悌子さんは夫婦二人でジャズを演奏していたそうです。
しかし現在、娘の敦子さんが石垣島で経営するレストランについて調査しましたが、石垣島のどこに「エンジェルの海」あるのかは分かりませんでした。
もう60代なのでお店を畳んでいるのかもしれないですね。
齋藤悌子の夫は元上司
齋藤悌子さんの夫である齋藤勝さんは、沖縄の米軍基地内で演奏をするバンドを率いるリーダーでした。
そのバンドの専属歌手として採用されたのが齋藤悌子さんだったのです。
つまり、ジャズシンガーを始めたばかりの齋藤悌子さんにとっては当時、齋藤勝さんは直属の上司ということになります。
齋藤悌子さんは当時、未来の夫となる齋藤勝さんについて「音楽に関しては厳しかった」と語っています。
齋藤勝さんは東京でバンドグループを組んで米軍向けに演奏していたようです。その際に米軍関係者から沖縄での活動に誘われ、沖縄へ渡っています。
結婚してからも一緒に夫の実家である千葉や娘の嫁ぎ先である石垣島でも音楽活動を続けていました。
しかし石垣島へ移住してから約6年後の1995年、勝さんが急逝。
夫が亡くなった悲しみのため10年間、齋藤悌子さんは歌えなくなってしまったそうです。
今でも1人で音楽を聴くと涙が出てくると齋藤悌子さんは語っています。
そんな齋藤悌子さんと齋藤勝さんについて、おそらく娘さんが2人の昔の写真を音源にあわせた映像をYoutubeにアップしています。
再生数は2023年11月現在で1.3万回にもなます。
1958年9月14日に琉球放送開局10周年記念特別番組で沖縄の那覇国映館にて収録された音源と、残っていた古い父と母の画像を合わせて制作したものです。(Youtubeチャンネル:appuより引用)
家族構成:齋藤悌子は家族で台湾疎開の過去も
齋藤悌子さんは両親と兄1人・姉1人の合計5人家族でした。特に音楽一家というわけではなかったそうです。
齋藤悌子さん1935年10月10日生まれで3人兄弟の末っ子として宮古島で誕生しています。
齋藤悌子さん一家は悌子さが9歳の頃、家族で台湾へ。
台湾へ行った理由は疎開です。その際は父親と姉は宮古島に残っています。
疎開先の台湾から宮古島へ帰り、その後、高校進学のために沖縄本島へ1人移住しています。その高校で音楽の先生に「音楽の道へ進みなさい」と言われたことが歌手を目指すきっかけになったと齋藤悌子さん話しています。



特に家族の進めで歌手になったわけではなかったのですね。
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